会長あいさつ
2025年4月から生命の起源・アストロバイオロジー学会の会長を務めさせていただいています。よろしくお願いします。
私ごとから始めさせていただき大変恐縮ですが、僕が崇拝する映画監督デヴィッド・リンチが2025年の1月に亡くなりました。僕が初めてデヴィッド・リンチの洗礼を受けたのは、京大西部講堂で観た「イレイザー・ヘッド」 でした。描いているのは淡々とした日常生活なのだが、その不穏でザラザラした空気感は強烈で、見てから45年くらい経つが、いまだにその空気感が頭にこびりついていて時折現れる。
京大西部講堂は学生による自主管理のもと、アヴァンギャルド芸術、暗黒舞踏、アンダーグランド演劇、パンクロック、オルタナティヴロック、フリージャズなどのメッカで「東の日比谷野音1)、西の京大西部講堂」と並び称されていた。僕が京大に在学していた頃の京都は、全共闘運動の残火があって、同志社は封鎖されて1年間授業がなかったし、京大でも教養の授業の最初の5分は必ず全共闘によるアジテーションがあったし、キャンパスや学生寮はよく機動隊に取り囲まれていた。その不穏な空気に包まれる京大西部講堂で「イレイザー・ヘッド」を見たので、相乗効果もあったのかもしれない。
デヴィッド・リンチ監督作品で、僕が一番深く囚われたのは「マルホランド・ドライブ」だ2)。やはり不穏で空気感はザラザラしているが、そこにねっとりした妖しさが絡み合っていて、その世界に引きずりこまれてしまった。TVシリーズの「ツイン・ピークス」は有名だが、僕にとっては「マルホランド・ドライブ」だ。僕はどうも、混乱していて、不穏で何かが起こりそうで、何かが大きく変わりそうな空気や時間に、どうしようもなく惹かれるようだ。
1995年に突如始まった系外惑星発見の狂乱と祝祭の時代は一旦は終息した。だが、口径6.5mの宇宙望遠鏡JWST3)が稼働を始め、系外惑星探査を狙う宇宙望遠鏡 (Roman, Earth 2.0, PLATO, Ariel など) や地上の口径39mのE-ELT3)は稼働間近で、ハビタブルゾーンの地球型惑星の探索、大気観測が始まろうとしている。やはり誰も予想だにしなかった2005年のエンケラドスの噴水の発見は、系外惑星の発見によって封印が解かれた地球外生命の議論を一気に加速させた。それを発見したカッシーニ探査機は2017年に土星に突入し、ひとつの時代は終わった(依然としてカッシーニのグランド・フィナーレの観測データの解析は続いて新発見も出ているが)。だが、生命探査も視野に入れた探査機が次々と木星や土星の衛星に向けてすでに飛び立ったり(エウロパクリッパー)、まもなく飛び立とうとしている(ドラゴンフライ、天問4号)。火星のサンプルリターンも間近だ(MMX, 天問3号、(MSRも?))。
まもなく、地球外生命に関わる何かとんでもないものが見つかるかもしれないし、何も見つからないかもしれないし、何か手には入れるかもしれないけれど結局認識すらできないかもしれない。生命の起源の理解が根底から覆るかもしれないし、途方にくれるかもしれないし、もしかしたら普遍生物学への道筋が見えるかもしれない。
生命の起源研究、アストロバイオロジー研究にも妖しく不穏な空気が流れ始めている。それに惑わされ惹きつけられ引きずりこまれ囚われる若者がどんどん増えて、さらに妖しく不穏な学会にしてくれたらいいなと思う。
1) 夏は酷暑の京都を離れて実家がある東京に帰省していた(京都の下宿にはエアコンもシャワーもなかった)。終戦記念日に日比谷野外音楽堂で行われた前衛バンドが一堂に集結した伝説のイベント「天国注射の昼」に行った。じゃがたら、フュー (Phew)、灰野敬二など錚々たる出演者が集まり坂本龍一は当日にドタキャンした。これも強烈に不穏なイベントだった。
2) マルホランド・ドライブはロサンゼルスの街を遠望する曲がりくねった実在の山道である。昔、ロサンゼルス空港に行こうとレンタカーを運転していて道に迷ってマルホランド・ドライブに入りこんでしまったことがある。なんとか迷宮世界から抜け出して成田行きの飛行機には間に合ったが。
3) 大活躍をしたハッブル宇宙望遠鏡は口径2.4m、すばる望遠鏡は口径8m。開口面積は口径の二乗に比例するので、JWSTがいかに巨大な宇宙望遠鏡で、E-ELTがいかに超巨大望遠鏡なのかがわかる。