THE ESSAY ON THE EVOLUTION OF VISUAL SENSE AND VISIUAL ILLUSION

Haruto Kodera

Department of Anatomy, School of Dental Medicine, Tsurumi University
E-mail: k o d er a-h @ ts u ru m i-u.ac.jp
(Received August 2 2007; Accepted October 26 2007)

(Abstract)

   The cause of visual illusion is discussed from the establishing process of visual sense including the evolutional viewpoint.The visual illusion in which the moon in the horizon was greatly seen was verified from the experiment using the ball.The visual sense is not the image which projected the image of optic organ in the brain directly.The visual sense is the world of the subjective image formed in the brain.This image should be limitedly correspondent to the object world.Dealing with mechanism is mainly based on the practice of the subject to the object.It is considered that there is the visual illusion in the blank where the practice does not reach, or it is a blind spot in the part which is insufficient for the integration in the brain.

(Keywords)

visual illusion, greatly moon, domed cloud layer, illusion experiment, brain

錯視と視覚の進化についての試論

小寺春人

鶴見大学歯学部解剖学教室
E-mail: kodera-h@tsurumi-u.ac.jp

1. 序

   本稿では,錯視がなぜ生じるのかを,進化的な意味を含めて視覚の成立過程から論じるものである.ただし,筆者は一解剖学徒にすぎず専門領域からはまったく逸脱した議論をするので,大きな間違いがあることが懸念される.その点をあらかじめお断りしたうえで論考をすすめる.  
   結論を先に述べると,視覚はそもそも視覚器(眼球)の像を脳内にそのまま投影した像ではない.視覚世界は脳内に形成された,主観的イメージの世界である.このイメージが客観世界に一定の範囲で対応しているはずで,その対応機構は主として主体(人)の客体への実践(はたらきかけ)からの反映であると考えられる.錯視は実践の及ばない領域,あるいは脳内機構の統合不十分な部分に生じた盲点ではないか,というものである.

2. 月の錯視の例と実験

   東の空に昇ってきた満月はみごとに大きい.ところが月が昇ると見るみるうちに小さくなってしまう.月までの距離を考えると,東の地平方向に出た月より天頂の月の方が地球の半径分だけ近くなり,地平の月より天頂の月の方が視直径は大きいはずである.むろん測定すれば天頂の月が大きい.つまり東の空に昇る月が大きく見えるのは錯視である.錯視であるから,どの程度に見えるかは多様な心理作用の影響を受ける.月の錯視に関しては古くから様々な説明がなされている.これらについては苧阪[1]と小寺[2]にゆずる.  
   月の錯視の存在やその程度を客観的に観察する方法として,次のような簡単な実験をおこなった.地上から見上げたボールと,地表のボールを見比べて,どちらが大きく見えるかを調べた.具体的には,地表から23.5 mのビルの屋上に直径約25 cmのボールを設置し, 地表には同じ種類の同じ大きさのボールを棒の先に付けた助手が適当な位置に立つ.被検者はビルの下(地表)からビル屋上のボールと,地表の助手の持つボールを見比べ,ボールが同じ大きさ,あるいは同じ距離に見える位置に助手に移動するよう求め,その距離を測定した.なお,被検者の目の高さを1.5 mとして,垂直方向の距離は22 mとした.対照実験として,標準のボールを観察地点から地表の水平距離22 mの位置に置いて,同様の実験をおこなった(Fig. 1).
   被検者は19歳から68歳までの男女42人でおこなった.その結果,垂直22mに対応する水平方向の距離感は,平均値が26.5 m(120%)であり,水平方向どうしの距離感は平均値が21.6 m(98%)であった.同じ距離を垂直方向より水平方向の方を長く見た被検者は42名中39名であった.このうち最も長く見た被検者は33.9 m(154%)であった.反対に短く見た被検者は42名中3名であった.
   この結果から,同じ地表の水平方向どうしでの距離感覚はかなり正確であること.ところが,垂直方向の距離に対する水平方向への同じ距離感覚は,実測すると遠くに感じている.つまり上方と水平方向が同じ距離であれば,水平方向の物体をより近くに,あるいはより大きく感じることになる.この傾向は被検者の約93%にみられ,ほとんどの人に認められた特徴だといえよう.
   この実験では,せいぜい22 mの距離でしかないが,より大きな距離をとれば垂直と水平の間の差は大きくなると想像される.つまり,東の空の月が大きく見える錯視は,月にかぎらず空間認識のうえでの非ユークリッド的な脳内座標の普遍性に基づくと思われる.



Fig. 1. The comparison experiment of the eye measurement between vertical direction and horizontal direction. The subject looked up at the ball on the building (perpendicular 22 m), and the distance of the horizontal ball which appeared the size in which they are equal to this were obtained.
(垂直方向と水平方向の目測比較実験.ビルの上,垂直方向22mに設置した球を見上げ,これと同じ大きさに見る水平方向の距離を求めた.対照に水平方向どうしの距離も求めた.)

3. 雲層の錯視

   
月と同じ原理で雲層にも錯視が生じていることを見出した.たとえば,まだらに浮かぶ積雲を見ると,天頂の層雲はわずかな弯曲面上に見え,これを地平方向に追って見ると,ずっと弯曲が強くなって雲層が垂れ下がったように見える.このような雲層の見え方は,地上の風景の影響を強く受けており,ビルの合間に見る雲層の弯曲度は強く,一方,地平線の見える風景の中では弯曲度が小さく遠方まで水平な「空」に見える.ところが,雲層を写真に撮って見ると,いずれの場合も雲層はみごとに平坦な面に浮かんでいるのである.    
飛行機に乗って雲層を見ると,より顕著にこの関係がわかる.離陸した飛行機からは,上層の雲層が大きく弯曲したドーム状に見えているが,だんだんと高度を上げてついに雲層を貫いて雲層の上に出ると,眼下に見る雲層は水平で無限に広がったまさしく雲海として見えるのである.    
ドーム状に弯曲した雲層の見え方については,地球の球体に対応した大気の球状の取り巻きとして説明されるかもしれないが,写真や飛行機からの観察からは間違いであることが理解できる.地球の弯曲度はずっと小さいく,地表や雲層はほとんど水平に見えるはずで,雲層の弯曲は錯視の一つである.    
錯視像を写真で示すことはできないから描画するほかにない.図2は客観的な雲層と錯視の雲層が誇張して描いてある.同じ程度の大きさの積雲が天頂から水平線に向かって広がっている場合に,地表と平行な平板状の雲層は遠方に向かって小さく見えるはずである(Fig. 2上).しかし錯視の結果,水平方向の積雲が大きく見えることから,雲層が垂れ下がって見える(Fig. 2下).    
そこで有名なる絵画には雲層がどのように描かれているか興味がもたれる.おおくの絵画に見る雲層は判断のつきにくいものが多いが,判断のつくものではたいていは水平タイプのつまり客観的な雲層像が描かれている.少数ながら錯視タイプの絵画を選ぶと,モネの「ヒナゲシ」や「カビューヌ大通」,あるいはシスレーの「ボール・マルリーの洪水」など印象派の絵画に見られた.しかし,シスレーの同じ題材でも「ボール・マルリーの洪水の小舟」に描かれる雲層は水平的である.ここでは,日本画から客観タイプとして竹内栖鳳の「河口」(Fig. 3)と錯視タイプの菱田春草の「夕陽静波」(Fig. 4)をかかげておく.    
画家の描く雲は,実際の空をスケッチすると錯視した「写実」性が表れ,室内のアトリエで描くと悟性的な,つまり幾何学的な法則に基づく「正しい」雲層が描かれるのではないかと想像する.さらに意識的,積極的に空間の広がりを表現する場合には,広い天空には客観的タイプの雲層を,狭い天空表現には錯視タイプを用いるのかもしれない.



Fig. 2. The visual illusion of cloud layer. Top: the cloud layer objectively observe; bottom: the cloud layer of visual illusion.
(雲層の錯視.上:客観的に見た雲層.下:錯視した雲層.)



Fig. 3. “Kakou” Takeuchi Seihou,1918. The horizontal cloud layer is objectively painted.
(竹内栖鳳「河口」1918年.客観的に見える水平な雲層が描かれている.)



Fig. 4. “Yu-hi Seiha” Hishida Shunnsou, publication year unknown. The cloud layer in which dropped in the far-off distance painted with visual illusion. (菱田春草「夕陽静波」発表年不明.錯視した遠方が垂れ下がる雲層が描かれている.)

4. その他の錯視

   その他の錯視の例としては膨大な事例が知られており網羅することはできない.ここでは数例を取り上げておく.まず「月が追いかけてくる」錯覚がある.これは,走る列車や自動車から月を見ると,月が一緒に追いかけてくるように見えるもので,よく子どもが発する驚きの一つである.大人はこの現象を,列車の移動にともなって近くの風景は流れて見えるが,遠距離にある月は移動にともなった見る角度の変化が小さいために,月は自分と同じように移動し,追いかけてくるように見えると説明するかもしれない.しかし,同じように列車に乗りながら遠方にある山を見たときには,山はけっして追いかけてこないのである.月が追いかけてくるためには,月が小さく,地表から浮いていることを条件としている.  
   Turnbullによると,視界の限られた森のなかで生活をしてきたピグミー族の人には,遠方の物体の大きさに錯視がみられるという[3].Turnbullはピグミー族のある男性と森を出てはじめて遠方まで見渡すことのできる台地の上にやってきた.そのときピグミー族の男性は数マイル先の低地にいたバッファローの群れを見て,「あれはどういう虫なのかね?」と訊ねたという.またGregoryによると,ズールー族の人は住居を含めて生活空間に直線や角のほとんどない世界に生活をしているが,彼らにはミュラー・リヤーの錯視が生じないという[4].ミュラー・リヤーの錯視は,二本の同じ長さの平行した直線に,一方は直線の両端から外向きのアローヘッドを,他方は内向きのアローヘッドをつけた場合に,外向きのアローヘッドの直線が短く見える錯視である.  
   日常にはまったく気がつかない視覚現象に空間定位がある.ビデオカメラを振り回すと,もちろん画面に映る空間が動きまわり気分が悪くなる.しかし自分の目で見る世界は頭を振り回しても,眼球を瞬間的に左右に動かしても(サッケード),空間は静止している.頭を傾けた場合には空間視野が傾くのでなく正立したままの静止した空間を見ている.このメカニズムは十分には解明されていないが,眼球につく筋肉をはじめとした身体の筋肉の情報から,空間座標における眼球や頭部・身体の動きを計算して,視覚の補正をおこない視覚空間を静止させていると理解されている.ちなみに,眼球を他動的に動かすと,つまり指で目尻から眼球を押し動かしてみると,視覚空間はビデオカメラのごとく揺れて気持ちが悪くなる[4].  
   もう一つ個人的な経験を付記しておきたい.それは筆者が数年前に「中心性網脈絡症」に罹患し,片方の眼球網膜の中心部分(黄斑中心窩)に炎症が生じてその部分の網膜が浮き上がった.すると視覚の中心部分に小さい円形の異常症状が生じた.当初の異常は視野の中心に円形の青色がつくものであったが,やがて色の異常は消えてこの部分の縦の直線が一方向に弯曲してきた.これらの症状はこの疾病の典型的な症状とされている.発症から約1ヶ月ほど経ったときに,正常な眼球の中心部分の視野が,ちょうど異常な方の視野の直線の弯曲とは反対方向に直線が弯曲していることに気づいた.正常側の弯曲は鮮明ではないが,異常側の弯曲を補正しており,両眼で見ると直線の歪みがほぼ正されているのであった.この疾病は半年ほどで自然治癒し,両眼とも歪みはなくなったのであった.この事実は,視覚の可塑性がひじょうに大きいことを物語っている.

5. 動物の錯視

   動物にも錯視が生じているかどうかを確かめるには,実験の組み立てが困難をきわめる.苧阪により紹介されている興味深い実験にG.J.フォン・アレンによるキツネザルの空間識別の実験がある[1].まず2個の小箱を用意して,2つの小箱の位置に遠近の距離の差をつけ,かならず遠方の小箱に餌を入れてあることをキツネザルに学習させる.そして,この2個の距離の差異が識別できる最短距離を測定するのである.同じ実験を水平方向に小箱を置いた場合と,垂直方向においた場合の比較をおこなっている.その結果,キツネザルはヒトとちがって,水平方向よりも垂直方の距離差の識別能力のほうが高いことを示したのであった.  
   また,脊椎動物とはかけ離れた類縁関係にある昆虫にも,錯視があることが明らかにされている.Haterenらは,巧妙な実験によりセイヨウミツバチが「カニッツァの三角」と同じような,角だけの実在しない「長方形」を錯視することを明らかにした [5].この実験は,ミツバチに多様な図形と組み合わせて一つの図形だけに餌を置き,その図形を学習させるのである.実験では,餌の上にある図形は長方形で,長方形に餌があることを学習したミツバチが,角だけの「長方形」を錯視して集まることを発見したのであった.  
   昆虫の眼球は複眼であり,脳の構造もまったく脊椎動物の脳とは異なっている.しかし,神経系の基礎となっているニューロンの構造や神経伝達物質は同じであることが知られており,ヒトとミツバチが類似した情報処理をおこなっていることが考えられる.

6. 脳内の視覚像の形成

   眼球の網膜に投影された像は,眼球の構造がカメラにたとえられるように,まさしくフィルムまたはCCDの光学センサー上の像とほぼ同じである.ただし,眼球への投影像は光学機器のそれとは異なって,はるかに歪みの大きな像である.網膜に存在する光センサー細胞(視細胞)は約1憶2700万個あるとされるが,このうち色の感覚は700万個の錐状体細胞のみで,しかもその分布が直径わずか0.2−0.3 mmの中心窩にほぼ集中している.そして,眼球から脳に達する視神経の神経線維数は約100万とされ,眼球からの情報量としては100万画素にすぎない.視覚伝導路は視床を経て大脳皮質の後頭葉の視覚領に投影されるが,視覚情報は形状や色,奥行き,直線,動きなどさまざまな要素ごとに処理されるとされる.その神経生理学的な領域は判明しているが,意識される視覚像が実体としては捉えられていない.  
   つまり眼球網膜には歪な像が結像しており,さらに色に関しては視野の中心部に集中して感知しているだけである.視神経が伝達する情報量はわずか100万画素にすぎない.しかし,脳内で「見る」画像は歪みのない全面カラーのきめ細かな鮮明な画像である.この脳内の画像は取り出すことができず,また他人の脳内画像と比較するなど,客観化することができない.この種の知覚の要素を,今日ではクオリアあるいは感覚のモダリティーとして扱っている.しかし,これは従来の哲学・心理学用語における表象(主観世界)そのものではないだろうか.  
   脳内の表象としての視覚像は,眼球からの情報を基礎としていることは当然であるが,脳内の他の情報要素が絡んでいると考えられる.なかでも他の感覚器からの情報として,聴覚や触覚あるいは味覚や嗅覚も関連しているであろう.視覚に障害をもつ人では,後頭葉の視覚領に触覚刺激が投影していることが知られている.また,共感覚として知られる現象には,ある音に対して特定の色が知覚されことや,数字と色の共感覚,味覚と触覚の共感覚などさまざま異感覚の間でのリンクが知られている.これらの事実は脳内の視覚像が他の感覚情報と統合されるなかで形成されていることを示している.  
   脳内の視覚像は他の感覚情報との統合ばかりでなく,悟性的な要素や,さらには理性的な要素からも影響を受けているとみるべきであろう.夜空の星の間に「冬の大三角」が見えるなどは,悟性の反映とみることができる.つまり,多様な感覚の経験や高位の悟性や理性の作用により脳内の視覚の世界が構築されており,これに眼球からの直接的な視覚情報を基礎にして,脳内の視覚要素が引き出されて視覚イメージができるのではないだろうか.ビルを見たときには,眼球情報をもとにビルの直線と直角の構造が,脳内の既存の直線や直角,色,建築物というもののパターンが引き出され,その上に脳内視覚像が生まれると考えられる.  
   脳内の視覚像は,そのかぎりでつねに他の感覚情報からの補正を受けている.たとえば机の直線に見える視覚像は,触覚の直線感覚と符合がなされるか,あるいは補正がなされる.空間認識は,視覚とともに触覚や音の反射,あるいは空間の身体移動による筋肉からの情報も関与していると考えられる.つまりは,脳内の視覚像も客観世界の認識過程の一つであり,認識には感覚の受動的な過程ばかりでなく,客観対象への能動的なはたらきかけによる要素が重要である.これを普遍化させれば,認識は運動であり,あるいは運動のシミュレーションであり,対象へのはたらきかけによるもので,ひろくは人間の実践によるものといえよう.ただし,視覚形成においての実践は,一個人の経験によるものばかりでなく,そのおおくは生物の辿った進化過程における経験の蓄積によるものであろう.

7. 錯視は実践の盲点

   このような見方から錯視の生じる原因を考えると,他感覚の補正を受けない部分,あるいは対象へのはたらきかけがない領域に生じる,とみることができる.月の錯視は,人類が地表を生活の場としており,水平方向の距離感覚が重要で,垂直的な距離感の必要性が小さかったことに起因すると考えられる.その点で,キツネザルは樹上性の動物で彼らの生活空間は垂直的であることから,ヒトとは反対に垂直的により正確な視覚を得ているとみられる.  
   ピグミー族の人が遠方のバッファローを虫と見間違える錯視現象は,彼らの生活空間に経験のない距離から生じたと考えられ,視覚が行動からの補正を受けていることをものがたっている.反対にズールー族の人が,直線とアローヘッドの組み合わせで生じるミュラー・リヤーの錯視を認めないということは,彼らの生活空間に直線や直角がなく,幾何学的なパターンを脳内に持たないからであろうと推測される.ではなぜ直線に満ちた都会人にはこの錯視が生じるのか.脳内に悟性的な幾何学的パターンをもつが,これを身体的に運動系を通して体験できないところに盲点が生まれるのではないかと考える.  
   動く列車に月が追いかけてくるように見えるのも,自分の肉体で走る以上の速度で月を見ることから,運動系からの視覚へのフィードバックがはたらかないことや,小さい物体が自分と等速で視野に入る場合は同じ運動をしていると経験的にみるからだと考える.  
   昆虫(ミツバチ)とヒトの共通した錯視は,彼らと同じような視覚世界をもっていることを意味しており,客体に対する主体(ヒトとミツバチ)のはたらきかけがあれば,感覚器や神経系の構造がまったく異なっていても,客体の姿をある程度は正確に反映させている証拠でもあると思われる.

8. 視覚と言語

   Humphreyは『喪失と獲得』において,旧石器時代に描かれたみごとな写実的な洞窟画が,現代のある自閉症の子どもが描いた絵ととてもよく似ていることを指摘している[6].たとえばフランス南部のショーヴェ洞窟(約3万2千年前)に馬の絵があるが,それは自閉症の子どもが描いた馬の絵ときわめて類似している.Humphreyはこの自閉症の子どもが言語能力に乏しかったことから類推して,洞窟画の描かれたショーヴェの旧石器時代には,人類がまだ十分な言語を獲得していなかったのではないかとみる[6].自閉症の子どもは教育により言語能力が増すようになると,写実的な絵画能力が失われていったことから,人類もまた,言語を獲得することにより抽象的な概念をもち,記憶は個別の写実的な記憶から抽象的な記憶へと変換されたのではないかと推測しているのである.  
   では動物には写実的な記憶能力があるのだろうか.その点についてHumphrey[6]はFarrer[7]やKawai and Matsuzawa[8]の研究からチンパンジーには写実的な記憶能力があると述べている.Farrerの研究はチンパンジーが複雑な図形を正確に記憶していることを実験から示している.  
   筆者のささやかなネコの観察例からも,ネコには写実的な記憶があると推測される.多数の食器類が置かれた卓上にネコを放すと,ネコは食器の間を上手にまたいで歩く.そこでネコの動きを途中で止めて,約10秒後に歩行を再開させると,後肢の回りを見ることなく(視野には後肢付近が入らない),後肢を食器に当てずにそのまま歩くことができる(Fig. 5).つまり,ネコは写実的な記憶が残っていて,後肢を移動させる方向の、物の配置が記憶されているのであろう.ただしこの証明には,歩行再開時に後肢の歩行先の食器の位置をネコに気づかれずに移動させて,後肢が食器を引っ掛ける実験が必要だが,実行できていない.  
   おおくの哺乳動物では,視覚の写実的な記憶が重要だと思われる.たとえばネコの例と同様に,ゾウが立ち止まって小枝を食べ再び前進するさいに,頭部はすでに通りすぎていたが,後肢にとっては前方にある障害物を忘れたのではすぐに前進できない.樹上性のサルも,枝から枝へ移動するのに四肢それぞれで掴むべき枝の位置を一度に視覚で確認することはできまい.サルも樹上の空間を写実的に記憶しているからスムーズな移動が可能だと想像される.

 
 

 
Fig. 5. The realistic memory of the cat. A walking cat rests, her hind leg does not step on the thing when the cat walks again.
(ネコの写実的記憶.ネコを食卓の上を歩かせ,一度静止してから再度歩きだしても後肢をつまずかせない.)

9. 目を閉じるとなぜ視覚が消えるか

   視覚器の進化をたどることは容易でない.そのことはDarwinが『種の起原』で論じているところでもある[9].また,脊椎動物の眼球と昆虫の複眼のどちらが機能的に優れているかは,簡単に結論が出せないであろう.それでも,眼球の構造や生理学的な手法から,視野の広がり,解像度,受容波長の範囲,色の識別程度,焦点調節の性能,両眼視の程度などにおいて動物間に相違が存在し,おおむね高等動物ほど性能が増しているといってもよいだろう.ただし,眼球の進化がただちに視覚世界の進化と一致するとはかぎないと思われる.  
   超音波の反射音を利用して空間を感知している(反響定位)コウモリにとっての空間感覚が,人間の「視覚」と同じかどうかは,クオリア論や認識論で論じられる命題である.コウモリの行動が反響定位を利用して,あたかも視覚による場合と同じ行動をとること,つまり見えているがごとくに行動することは,反響定位が視覚と同じであるとみてよいのではないかと考える.乱暴な憶測になるが,コウモリでは,眼球からの情報に基づいた視覚像から聴覚情報偏重の視覚像への転換があったのではないかと考える.  
   下等動物から高等動物への進化にともなう空間認識の変化を想像するなら,棘皮動物などのおおくの底性動物では,光を感じたとしても眼球のような結像はないから,海底の構造を「触覚」や移動により知覚し,その神経系の空間世界を構築していると想像される.その後の眼球の誕生により,動物は身体から離れた空間の知覚が可能となり,飛躍的に認識空間が広がったであろう.しかし,眼球を獲得したからただちに空の月を見ることができたとは思えない.彼らの空間概念は行動の範囲に限定されるであろう.つまり動物がもつ内的な空間世界は行動を基準に構築されているのではないだろうか.この点を拡張して考えるなら,脳内の視覚像は,行動を通した多面的な感覚の総合によって構築されており,眼球の進化はこれに先行する脳内視覚像に適合するように方向づけられたものではないだろうか.ゆえに,眼球の結像に歪があっても,また視覚情報が限られていても,先行する脳内の視覚像はより客観性のある像を構築していると考えられる.  
   脳内の視覚像が眼球情報に先行すると仮定するなら,ではなぜ目を閉じると視覚が消えるか,という逆説的な謎が生じる.この点ついては,別な機会に考察を加えたい.

引用文献

1. 苧阪良二, 地平の月はなぜ大きいか,pp.97-205,講談社, 東京,1985.
2. 小寺春人, 東の空に昇る満月はなぜ大きいか−そして雲の見え方について, 地学教育と科学運動,40, 19-24 (2002).
3. Turnbull, C. M.森の民, 藤川玄人訳, pp.135-130, 筑摩書房, 1976, 東京, 1961.
4. Gregory, R.L.脳と視覚, pp.193-194, 近藤倫明, 中澤幸夫, 三浦佳世訳, ブレーン出版, 2001, 東京,1998.
5. Hateren, J.H., Srinivasan, M.V.and Wait, P. B.Pattern recognition in bees:orientation discrimination, J.Comp.Physiol.A 167, 649-654 (1990).
6. Humphrey, N.喪失と獲得, 垂水雄二訳, 紀伊国屋書店, pp.122-159, 東京,2004.
7. Farrer, D.N.Picture memory in the chimpanzee, Perceptual and Motor Skills, 25, 305-315 (1967).
8. Kawai, N.and Matsuzawa, T. Numerical memory span in a chimpanzee, Nature 403, 39-40 (2000).
9. Darwin, C.種の起原, 下巻,八杉龍一訳,pp.25-50,岩波書店, 東京, 1971.

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