Preface to the Special Issue on "The evolution and the human nature.
--- Studies of Generative Grammar"

Hiroko Shirai

Ushimado Mamrine Laboratory, Okayama University,
130-17, Kashino, Ushimado, Oku, Okayama 701-4303, Japan.
Fax: 0869-34-5211; E-mail: shirai@uml.okayama-u.ac.jp
A new theory of evolution has been proposed based on the energy steady state in living things. Any organism is under metabolism and life itself is a form of surplus energy, that is premise of life. No present function in organisms should be traced back to any teleological object, and any individual is historical existence that consists of necessary and non-necessary (surplus) modules. The driving force of evolution is in the essential surplus energy that allows species to change their life styles, and DNA is a mere substance that can stabilize or fix the species life styles. The new theory well appreciates both results of molecular and population genetics, and criticizes the confusion of the evolution and genetic aspects in The Modern Synthesis (Neo-Darwinism); the former is only one phenomenon through a whole history of life and its essence is accumulative development including diversity, the latter are partial phenomena in evolution and the essence is repeat of prefixed stationary. The new theory seems to possess essentially same cognition to that of theoretical linguistics (generative grammar) by Noam Chomsky and of modern ecology with the following common key words: a view from the whole and part, leaping over limit-manifested prejudice, and creation of the future. The situation of present environment is getting greatly serious and co-operation among sciences is required for continuation of human existence. To accelerate the co-operation, this symposium of cultural exchange between the linguistics and the evolution has been proposed as a suitable example in our society of the origin of life.

特集「生物進化と人間の特性−生成文法の研究−」を企画して

白井 浩子

岡山大学・理学部・臨海実験所
〒701-4303 岡山県邑久郡牛窓町鹿忍130-17

Fax: 0869-34-5211
E-mail: shirai@uml.okayama-u.ac.jp


1 はじめに

或る学会に所属するのは、当然、その学会に価値を認めるからだとは思いますが、私はとくに、この「生命の起原と進化学会」を高く評価し、所属できますことをまことに嬉しく捉えております。いつも、他の方々を誘うときに次のように申します、「宇宙の成立、地球の成立、地球上の化学進化、生命の成立、生物進化、言語の発生、など、時間軸に沿っての発展を共通点とする、時空的に広域にわたっての現象を対象とする学会です。それでも参加者全員が一会場で聞きあいます。そのため、どの分野における研究の進展も、自分の分野にひきつけて参考にすることができるのです。あまりに専門過ぎると思われる場合は、一段一般化して表現を工夫するなどのエチケットを会員のみんなが持っているように見えます。現在、科学の細分化が進み、諸個人が全体像を見失う弊害が指摘される中、この学会のありようはまことに先駆的です。」と。私自身、多くの恩恵をこの学会から受けています。学生への授業でも、研究の進展とはどういうものかの例として、多くの方々の研究を現在進行形のまま知らせたりもしています。学生の感想は、高校までの授業でも、このように説明されたら興味がわき、自分で考えようとしてみたのに、というものです。

この度は、以下の3要素が、シンポジウムを企画した要素となっています。第1は、私自身の研究が思いがけず進化の新理論に到達し、それが、通説を根本的に転換する内容であること、第2はチョムスキーの言語研究に私自身の研究と共通点を見出したこと、第3は生態学の現段階にも進化の新説と協働できる点を見出したことです。

2 第1の要素

元来、棘皮動物を実験材料として、初期発生における体制の複雑化(三胚葉体制の成立について)の機構解析に携わってきました。岡山大学へ移り、エネルギー的観点からの実験結果の吟味を経て、進化についての新しい理論に到達しました。生物が現在もつどのような機能も、初めから目指されたのではなく、また、過不足なく少しずつ現状へ向かって成立したのではないこと、すなわち目的論の否定です。生物には、生命の本質に根ざしたエネルギー余剰が必ず存在します。なぜなら、代謝とは、エネルギー供給反応とエネルギー吸収反応の共役です。必ずエネルギーが必要なので、代謝継続という生存は、絶え間ないエネルギーの消費なのです。それゆえ、生物体としてはエネルギー収支がマイナスにならない方向にしか存在の条件が可能でないのです(この意味で、動物種間の捕食ー被捕食関係は、生命の本質)。生物体の成立そのものがすでにエネルギー余剰の一形態なのです。こうして、目指されず単に付随的に出現したエネルギー蓄積や、生活形態が変わることによって出現する退化物が過去から受け継がれ、そのような非必須の存在が、生物種が採用中の生活形態によりいろいろに利用され始めることに端を発し、やがて新しい機能として定着・必須化していく、というものです。

種の生活形態は生態系における様々な相互作用により影響を受けます(環境の作用)。それぞれの生物種は相対的に独自に発達しますから、生物種同士のめぐり合いは決定論的ではなく、偶然の要素を含みます。最も基本となるものは、必須物の取り込みであって、動物の場合は、捕食ー被捕食関係です。何らかのエネルギー取得は必要であるという大きな必然の枠内での、取り込む対象の非決定性という偶然です(生活形態の可変性)。生物は、DNAに規定された生き方をしているのでなく、飢餓の危険を含みながらも、エネルギー余剰を保持するゆえに、自らの生活を変えることができ、それにより未来を開いているのです。このような進化観は生物全体に普遍的ですから、生命の原初の時代にも当てはまると捉えられます。それで、諸分子同士の反応の集合というレベルから、区画内の代謝の継続という生物体レベルとしての存在形態へ移行する経緯が問題として意識されます。この場合も、DNAの形成が初めから遺伝情報を機能として開始したというのは妥当ではないことになります。エネルギー分子の蓄積・安定化などの付随的反応の結果、機能が後から成立すると考えるのが統一的です。

新説は、進化という全体現象と、遺伝という部分現象の混同を批判します。DNAは遺伝現象が固定的・安定的に進行する機構を担う化学物質であって、化学物質が代謝継続という生物状態の本質であるなどという捉え方は論理的に誤りです。あえて言うなら、DNA諸変化はランダムに起こり、致死ほど不都合でない限りそれらの諸変化は種内の個体に維持されることが許容され、種が採用している生活形を安定化・固体化するように有性生殖を介して編成替えされて、もはや以前の生活形に後戻りさせなくするのです。DNA変化が進化の先陣を切るのではないのです[1]。

3 第2の要素

第2は、チョムスキーの人間特性の研究です[2]。彼は人間に特有な言語について興味の焦点を定めるとしています。チョムスキーは彼以前の言語学(構造主義的、行動主義的言語学)について、それらが、言語の表面的な分かり易い細部に関する膨大なデータを収集することに貢献はあったものの、それ以前の豊かな学問伝統(哲学的文法とかデカルトなど)を無視したことは学問発展にとって有害であった、として批判しています。言語を使用できる状態とはどういうものか、その状態へはどのように行き着くか、言語の使用は創造的だがどうなされるか、言語機能を支える実体としての脳機能はどういうものか、などと課題を設定します。とくに、チョムスキーは「言語使用の創造的側面」を重視しています。言語使用の継続の積み重ねにより現在に至っているわけで、元へ辿ると言語の成立にもかかわる問題です。少なくとも私にとっては、進化というものを発祥から現在までの全体として捉え、諸生物体の刻々の代謝継続の積み重ねを通して現状に至ったものと捉える立場ですから、大変、共感を覚える課題設定です。ガルスタングが「個体発生は系統発生を創造する」と言ったことを思わせます。

また、個人が言語獲得にいたる経緯、とくに、誰にも平等に生物学的に生得的性質として備わるはずの普遍文法(言語刺激を受ける以前の心の初期状態)がどのようなものであるかをあぶりだす作業(これについては、「プラトンの問題」として紹介されています)も、生物学から見て大変興味深いです。あたかも「個体発生は系統発生を繰り返す」というヘッケルの生物法則を思わせます。これに関しては、DNAの役割が、進化の先陣を切るのではなく、生活形を安定化して元に戻らなくさせることにある、と認める進化の新説の立場から、論議したいです。上述のように、生物体制がどのように発達しても、生命としての本質は不変であり、エネルギー収支の改善は絶え間なく進行します(代謝不能におちいる飢餓の回避という制約からの必然)。言語の発達におけるこれに匹敵するような、全体を貫く条件は何なのでしょうか。対象の認識に向かわざるを得ない生得的性質が、認識の不十分さを意識する場合の不満とでもいうべきものでしょうか。

チョムスキーはデカルトを高く評価しています。近代科学の採用する分析的方法で身体の機械論的理解を追求し、この方法が通用しない驚くべき例外として言語使用の創造的側面をデカルトが認めたことを、「デカルトの問題」として紹介しています。デカルトは心を、諸個人の最も平等に配分されている本性として身体とは区別して捉えました。チョムスキーは、このような心身二元論において、人間本性(心)の度合いなどというものはないとし、この二元論から人間の諸差別は起こりえないと、デカルトの平等性、民主性とでもみなされるべき立場を高く評価しています。また、チョムスキーは、「デカルトは、心があらゆる場合に役立つ普遍的な道具とみなすにもかかわらず、心の性質を発見するには不十分であるかもしれないとする。ここには矛盾がある」と指摘しています。そうして、「言語使用というような機械論的説明を超える性質について、デカルトの二元論は有効な説明を与えられなかった。心は、デカルトが言うようなあらゆる場合に役立つ普遍的な道具ではない。しかし、これは幸いなことである」と総括しています。

ここから進んで、一者(定在)のなかに矛盾(肯定要素・否定要素の本来的存在)を認めるヘーゲルに言及しないのはなぜか分かりません。分析的方法だけでは矛盾を意識するまでであって、この解決に向けてはその統一を試みる実践が必要です。たとえ、解決しきれるとは思えなくても、可能性を求めて実践を続ける意志が人間にはだれにでも生得的に備わっているように思えます。これは、あたかも、部分が全体を理解し尽そうとする場合の矛盾であり、先に述べました、認識の試みとその不十分さの自覚に当たると思われます。内省により誰でも心を持つことは分かる、といいますが、自分の心を見るということは、自己の客観視(自我意識)であって、これは部分と全体の矛盾に通じます。この意味で、進化において後発に出現した部分としての人間が、進化全体を理論化するときの困難(矛盾)にも通じるものがあると思われるのです(後述)。

4 第3の要素

第3は、地球の環境問題が焦点です。化石燃料の果てしない消費、諸化学物質による公害の蔓延に象徴されるように、現代では、全体としての生態系が、部分としての人間の活動により、大幅に影響される事態となりました。人間活動がまだ小さかった時代の生態学は、国内国外を問わず、人為を無くせば、生態系は一定の極限状態へ安定的にたどりつく、という認識であったとのことです(あたかもマクロな物体を、機械論的に固定的・安定的に存在すると理解するように)。とくに、地球上でも恵まれた位置にある日本では、極相林という言葉が示すように、本州は照葉樹林、北海道は針葉樹林へ行き着いて安定する、というものでした。しかし、事態は変わりました。大気も、土壌も、海洋も、また、南北の極地も、未開発の奥地も、もはや人為のおよばない地域はなくなりました。この時点において、「手付けず放置する」は、もはや、「荒廃を招く」と同義になったのです。現代生態学からの提言は、以下です。「ひところの開発一点張りから反省が生じ、国連でも「持続的開発」と言い直されるようになった。しかし、これでもまだ形容矛盾である。根本を健全な生態系の維持とし、人間活動はその範囲に制限すべきである」というものです。

健全な生態系とは、一言で言えば、復元力の範囲にある状態、ということです。マクロな物体と同様、生態系も打撃に対して、不変・変形という応答を示します。マクロな物体に与えられる力の大きさが小さい場合、物体は無変形で抵抗できますが、力が大きくなると破壊に至ります。生態系の破壊は、破壊地域が波及し、広域の破壊につながるのです。全体的な破壊につながる影響がどこまでか不明な現在、決定的な予測は出来ないのです。ここにおいて、可能な限り、変形を拡大しない管理法を導入するほかはないわけで、これが現在、提唱されている、「順応的生態系管理」です[3]。これは、関係者全てが(住民、行政、研究者など)、発案・政策決定・実行・判定・続行か変更かの判断、など、全ての行程に参加し、柔軟に進めていく生態系管理です。情報の共有と強制されない民主的な討論が必須条件です。このような現代生態学の到達点を伺ったとき、未来の予測に関して、私自身が到達した新しい進化観とほとんど重なることに気がつきました。人間存続の条件の創造ということが、進化の予測可能性の条件となる、という点です。

5 おわりに

何らかの科学研究において、理論とは全体をまとめる体系化であって、役割の中心は予測を可能にする点にあると思われます。つまり、条件がかくあれば然るべき予測事態の実現のはず、という形式です。通常はこれを実験で確かめるわけです。けれども、進化については私たち人間自身が生物の一員ということもあり、進化全体は刻々と進行する私たちの暮らしを含みます。つまり、条件の中に私たちの生活如何という要素が入り込むのです。全体に対して、部分である人間の活動が条件となる、という事態です。このため、進化に関する理論は、くり返しが可能な現象と異なり、検証不可能な要素を含みます。しかし、それゆえに、歴史科学が科学でないという議論は、視野の狭いものであって妥当ではありません。 よく考えますと、どのような理論も、それに属する事例が全て知られ尽くす前に、次の段階の理論が築かれるのであって、その意味で理論は常に不完全であり、理論構築後も事例の収集が続くものなのです。地上のあらゆるものを落として確かめなくても、地球の中心に向かう引力がある、という理論は築かれるのです。さらに、あらゆる天体の観測が終わらなくても、天体間には遠心力と引力がつりあっているとの理論が築かれます。知識の発達も、これを思わせます。すなわち、或る認識階層の事例が収集され尽くさなくても、次の階層を築くことができ、全体が一平面的ではなく体系化できます。階層が密閉されていて、もう入りきらないということはなく、どこまでも豊かになっていかれることは内省により実感できます。物質については、素粒子レベルにいたり、マクロな物体に適用できる法則とは異なる法則下にある存在であることが認識されるに至りました。古典物理学では、概念と客観的対象との合一生は明らかと思われていました。けれども量子力学は、そのような一見自明な合一性は、日常経験のような狭い領域で成り立つことであって、そこでの法則を自然全体に広げて考えてはいけないということを教えたのです。レベルを混同すると生じるパラドックスも、混同をなくし、注意深くどの条件で法則を使うのかを考えると、パラドックスでなくなる可能性があるのです。[4]

以上のように、全体と部分、固定的先入観の否定、未来の創造、をキーワードとして、進化論も人間理解も生態学も、深いところで共通していると思われました。すなわち、私の到達した進化論が未来を含む全体に関する理論であるという点が、やはり人間の特性理解を言語の創造的使用という未来をも含む性質全体を見渡すチョムスキーの言語学研究と、また、同じく生活の未来全体に関係せざるを得ない現代生態学の成果と展望とに、類似というレベルを超えた本質のレベルで共通であると思われました。とりわけ、環境問題は現状から見て、文化の問題の前提としての人間の生理的生存を左右する事態であると思われますので、この協働は一刻も早く実現に向かうべきものと考えられました。そこで、その端緒として、生物と人間に関する分野間の交流の促進を祈って、チョムスキー言語学というもの、ならびにその成果を御専門の方々から解説していただけたら、と願ったのでした。

会員の皆さまにとりましても、また、この会誌を目になさる多くの方々にとりましても、未来へ向かっての実践に参加する場合の励ましと捉えていただくことを願っております(全体における自分の位置が分かると不安や傲慢が減りますから)。ご協力・ご参加いただきました皆様に感謝いたします。幸い、会場の皆さまからはこのような試みを継続していくことが望ましい、との感想を頂きました。心がけるつもりでございます。

引用文献

1. 白井浩子.「生物における蓄積と相互作用」、唯物論と現代、28号、29-44ページ、文理閣、2001.
2. N.チョムスキー. 『言語と知識 マグアナ講義録(言語学編)』(田窪行則、郡司隆男訳)産業図書、1988.
3. 鷲谷いづみ. 『生態系を蘇らせる』NHKブックス916、2001.
4. 町田茂. 『量子力学のふしぎな世界』新日本新書503、新日本出版社, 2000.


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